一般社団法人 名古屋芸術大学美術・デザイン同窓会
OB・OGの輪

納得できる仕事スタイルを求めて

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江口正晃さん デザイン科 18期卒

「これまでの記事を読んでみると、趣味がテーマですよね。私も自転車好きだけど、ちょっとお休み中。そこで、なぜそうなったかを、ぜひお話したいんです」

 卒業生の輪というコンテンツは、OBやOGが、現在どんな生活をしているのかを、お知らせするのが大きなテーマ。たまたま趣味に関する話題が続いたが、それは、生活の楽しみ方という側面だ。江口さんは、そんな趣味も少しの間、棚上げにせざるを得ない時期があったという。そこで今回は、自分らしい仕事環境を見つけ出すために彼が遭遇した、さまざまな紆余曲折についてご紹介しよう。

「自分らしく仕事がしたい。で、そうするためには…、といろいろ考えた結果、いまの私があるんです」
 と、語りはじめた江口さんは、屋外で過ごす時間が長い人らしく日焼けした顔。半袖のアロハシャツからのぞく腕には、実用的な筋肉が浮かび上がっている。彼の現在の職業は造園業。日日の仕事が反映して、とても健康そうだ。もちろん気持ちが充実しているからでもある。

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自宅の庭は、もちろん自作。左の通路は公共の設備たが、うまく取り込んで庭をさらに広く感じさせる設計だ

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庭の設計図は手書き

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おしゃれな水栓は、これも自作。既製品を使わずに小物を作り上げるのもセンスの見せ所だ

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庭に至る踏み段には枕木を流用。左右の幅を変えて奥行きを演出している点にご注目を

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真夏の日差しを浴びて、一日花の「ムクゲ」が美しく咲いていた

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ちょっとお休み中の自転車たちは、玄関の奥にディスプレイしてあった

「最初は某大手自動車メーカーの系列会社に就職して、クルマの外装デザインをしていました。担当していたのはマイナーチェンジ。でも、なにかしっくり来ないというか…」

 自動車のマイナーチェンジは、発売されてから時間が経過したモデルのデザインに変更を加え、世間的な興味を再び引きつけるために行われる。

「元があるわけですから、どんなに優れたデザイン作業ができても自分のオリジナルではない、というのがしっくり来なかった理由かも(笑)」

 悩んだ末に転職を決意し、次に選んだ仕事は住宅メーカーの営業だった。

「専攻が工業デザインでしたから、建築やインテリアにも興味があって選んだ仕事でした。でも、なによりもびっくりしたのが、基本的に成績を上げていれば、営業って何をしててもいいという事実。ま、極論ですが」

 それまで社内にずっと缶詰め状態だったのが、いきなり自由な立場に。そんな気分の反映から、公園の芝生でゴザを広げてランチタイムと洒落込んでもみたという。

「トントン拍子で、すぐに2軒売れたんですよ。いま思えばビギナーズラック」

 しかし世の中そんなに甘くはなかった。その後売れない時期が続き、動きが自由だからこそ、成績が上げられないことがストレスになっていく。しかも営業の仕事は、建物の販売契約を結ぶまで。その後はクライアントを、実際に家を建てる部門のスタッフに引き継ぎ、自分の手を離れてしまう。

「本当は、工事完了、引き渡しまで、すべての過程にかかわりたかった。契約までだと、仕事を途中で放棄してしまうような気がして…」

 そんな満たされない日々が続き。

「転職を決意し、退社しました。とはいえ結婚したばかりだったし、2回目ともなるとなかなか決められない」

 数ヵ月、専業主夫をした時期があって、いつの間にか春になり、自転車で散歩していたらひらめいた。

「季節柄、木々の緑がきれいだったんです。そのとき、これなら仕事にできるかも、と思いました」

 そこで図書館に足を運び、職業大辞典で緑に関する仕事を探してみた。すると造園業と林業とあった。

「林業はねぇ。山の近くに引っ越さなきゃならないし。選択肢としては造園業でした」

 とはいえ職安へ行っても情報はなかった。で、開いたのが電話帳。

「当時は大府に住んでいたので、近くの造園屋さんに片っ端から電話してみました。ほとんど相手にされなかったけど1軒だけ話を聞いてくれた社長、というか親方がいて、見習いとして雇ってもらえました。親方は『いつか独立するつもりでやれ』といってくれたんですが、そんな余裕はなかったですね。でも、道具は目新しくて面白かったし、第一、樹木や花の名前を覚えるのが楽しかった」

 思った通りに造園仕事は自分に向いていて、勤めながら職業訓練校にも通い4年が過ぎた。その頃になると、造園業にも種類があることを実感し、独立が現実的になるとともに自分のめざす方向が見えてきた。

「造園業と一口にいっても、公園や街路樹などの管理をする公共の仕事と、個人相手の仕事の2種に大きく分けられます。簡単にいえば管理は、行政から依頼された仕事をするだけで相手が見えない。それに対して個人が相手の仕事は庭づくりですから、当然相手がいて、しかも内容はクリエイティブなんです。もちろん私が選んだのは後者。でもどのように独立するかは未知数でした」

 そうこうしているうちに中古の小型クレーンつきトラックの売り物がでた。この種のトラックは造園業を本格的にはじめるには欠かせないアイテムという。周囲からは、それを買って独立したら、とすすめられた。で、恐る恐る夫人に相談してみた。

「ちょっとね、どうかなぁと思ってたんですよ。でも意外なことに『面白そう』という反応で…」

 そして2000年、現在の”えぐちガーデン”の前身を開業。2006年、犬山に移転した。しかも最初は設計を手伝っていた夫人は、高所恐怖症も顧みずに庭師仕事の現場にもでるようになり、夫婦2人での経営だ。

「仕事について納得できないと、とことん突き詰める性分で、サラリーマン時代には上司と衝突したこともありました。しかも最後までやり遂げないと気が済まない」

 独立開業した現在は、そんな制約はなく、クライアントと相談しながら息の長い仕事として続けられる。
「やっと自分の納得する仕事スタイルが見つかった。というのが実感です。私たちのテーマは、”庭を育てる”。たとえば冬の間に剪定をし、春になり樹木が成長したときにいかに自然に見えるか。そしてその様子をお客さまに喜んでいただけること。それが一番嬉しいですね」

 そう語るご本人の横には、夫人の笑顔があった。

 えぐちガーデンの詳細は、自社サイトhttp://www.ipc-tokai.or.jp/~egg/をご覧ください。

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